アドルフ・ヴェルフリ「二萬五千頁の王国」

 

https://m.youtube.com/watch?v=e80bwWfwgnIm.youtube.com

この一見俗なTV番組の、ポップでエッセンシャルな菊地成孔の解説によると、アウトサイダーアート(絵画などの)は①所謂「業界」にいる、「教育」及び「資格」を持つ人では無いひとたちの芸術 ②精神病罹患者 の芸術 という2本だてだという。
ヘンリー・ダーガー、ミンガリング・マイクを引き合いに出して、その面白さを解説してる。ダーガーのペニスを付した少女の絵も、マイクの架空レコードの話も、取っつきやすく印象的だ。ダーガーに関しては知ってる人も多いだろうし、絵も蠱惑的な題材が多いので、やっぱりこの世界のアイドル的な存在、というは間違いない感じがする。


それで、表題のアドルフ・ヴェルフリだ。


菊地氏の分類で言えば、完全に②にあたる作家で、31歳からずっと精神病院のなかで製作していた。私も、数年前都内で開催された「アール・ブリュット展」でペライチの彼の作品が陳列されていて、それで印象的だったので、絵と名前を覚えていた。

今回の展示で、彼の作曲した音楽まで聞ける、というので楽しみにしていた。

結論から言えば、実は作曲した曲の演奏は期待はずれだった。もっと長回しで聴けると楽しみにしていたのに、ちょっとしたバイオリン音のパッセージが会場のスクリーンに映し出されるdvdから漏れ聴こえるだけだった。その映像作品はヴェルフリの生い立ちー里子に出された農場の風景ーが繰り広げられたのち、ヴェルフリが壮大に妄想していた世界観をまんま引き受けて具現化し立体の作品にしようというプロジェクト(後の世代の作家たち)が、ばびゅっと花火を放って王国を立体化させる映像に移り変わっていく。それとクロスオーバーさせて、単なるエンディングBGMとして楽曲が使われていたので、ちょっと残念と言えば残念だった。

音の作品で一番良かったのは(といっても2つしかないのでその残りのひとつだが)未完のうちにおわったレクイエム、埋葬行進曲だ。これは映像作品を作る人にヴェルフリへの愛情が感じられてとても良かった。淡々とドイツ語で何か韻を踏んでいる、しかもいい感じに何も考えず奇を衒わずな女たち2、3人のユニゾンないしパラフレーズで、正確には音楽といえるか定かではないが、私には完全に音楽に聞こえた。それは、子供の頃親戚のお通夜で何度も何度も繰り返し聴いて、だんだん気分が良くなって寝てしまった無常念仏にも似て、僅か14分の映像作品に納められているものたちがこちら側にグイグイ伝わるように仕掛けられており、時間を忘れた。

 

死ぬことを意識し、美というものを感じられるからこそ人間らしい振る舞いができる、と何かで読んで、その事を思いながら観ていた。ヴェルフリの人生は平たく言えばとても不幸な生い立ちで、精神病も気質もあっただろうにせよ社会的な要因でかかっているようにしか思えなかった。当時の政治状況とドイツというお国柄を併せて、わかる範囲の想像力で良い方に考えても結構いっぱいいっぱいになる。

 

なので、ヴェルフリに、獣と人間の境目の何かをみるような想いが過って、それが果たして残酷なのか好意的なのかと言われれば絶対に後者なのだけれど。

 

仏教芸術に曼荼羅があるが、ヴェルフリの作品がそれと似て来ちゃってるのも恐らく偶発的にそうなってるのだろうし、スエーデンボルグの卵型の曼荼羅に代表されるように、ヨーロッパ人が描く曼荼羅はアジア人の私達にはちょっと笑いを誘うというか、ああ全部お釈迦様の手の内にあるんじゃないかやっぱりな三千世界だからねという良からぬ妄想まで許してしてしまうところがある。シリアスなトーンの展示会場で唯一笑える部分はそこかもしれない。

 

図版は購入した。いつか家人の誰かがもう一度ページを繰る日もそう遠くないだろう。

だけど暫く、あのレクイエムを頭の中で反芻させて、棺桶の蓋を閉めてやりたい。だから本は開かない。レクイエムの音が遠ざかったら、また二萬五千頁の一部を紐とこうと思っている。