勝ってこいよと勇ましく。そして孫娘には恋愛至上主義だけが残された

Web上に書くのは勿体無いな、と思うほどの、素敵なエピソードというのがある。

大抵の人にとってそれは自分の恋愛の事だったりするのだろうが、私の場合、一緒に同居していた明治43年生まれの祖父の恋愛の事だったりする。

 

もう亡くなってだいぶ経つので、そろそろ色んなことを忘れないように書き留めておかなきゃいけない、お爺ちゃんが語ってきかせてくれたエピソードについて、調べたり検証する機会を持ちたいと思っていたら10年以上経ってしまった。(その間、モノローグで日常を語りえる時間は、気持ち的にほとんど無かった、という言い訳はここに留め置いて…)

祖父は明治生まれであるのに、恋愛結婚を遂げている。そして、51歳の若さで祖母を亡くしたけれども後妻をとらず、92歳でその生涯を閉じるまで、信仰と創作と読書と園芸と孫の世話をしていた。その一緒に過ごした日々を思うと今でも懐かしくて泣きそうになるが、私自身のセンチメンタルとは別に、祖父の恋愛があまりにも豊かで、そこに対して平伏すような気持ちになる。

 

祖父と祖母はすごく遠い親戚だったようで、何かそういった大きな親戚の宴会かなにかで祖父が一方的に祖母を見染め、ルックスが抜群だった祖父(身長185センチ)の押しの一手で結婚に至ったと聞いている。とにかくその辺の見染めた年齢のことなどはわからないけど、一目惚れだったのだろう。大抵お見合いで結婚相手を決める時代だっただろうに、強気なものである。


戦地に赴き、海軍兵としてロシアなどにも出征し、帰国してから母と叔母が産まれるが、その間3人の子供を亡くしている。
その間ずっと、ぎりぎりな気持ちを確かめ合うように、祖父と祖母は短歌の創作活動を楽しんで居たようだ(確か伊藤整主催の同人誌?)。同じ趣味があったとはいえ、作風や趣味趣向、評価のされ方というのは祖父と祖母ではまるっきり違っていたらしい(これもいまいち残された資料がないのでふわっとしている)。

 

祖母には創作上、慕っていたひとがいたという。自分の夫とは別にプラトニックに想っていたひとというのが居た。ーこのことを祖母亡きあとにうまれた私が知り得るのは、他でもなく祖父から面と向かって聞かされて、のことである。

話を聞く限り、祖父は明らかにこのプラトニックな妻の恋慕を面白がっている所があり、兎に角それをエネルギーとして居た所があるようだった。きっと時々は真面目に嫉妬したりもしたのだろう。


祖母が早くに亡くなった、と書いたが、肺癌で闘病生活も苦しい中、祖父は祖母に一目逢わせてあげなくてはいけないひとがいることをと即座に思い出し、他府県にいるその人に初めて連絡を取った。

…他でもなく、同人の君だった。実際の顔など見たこともないだろうに、その祖父のサプライズプレゼントに祖母は一瞬で気が付いたという。きっと、さほど言葉は交わせない程に感無量だっただろう。

なんとか、この世にいる間に逢えた。しかも、夫の差し金で。祖母は幸せだったと思う。