5歳保育園児にKUMON(くもん)こわい。谷川俊太郎を読んで眠れなかった私が、文字を教えにくい理由

KUMON(くもん)こわい

子どもが5歳になった。
通わせてる保育園のクラスメイトの何人かが、公文教室に行かせて文字を習っているらしい。
保育園は厚生労働省の管轄なので、文部科学省下の幼稚園とは違って、ひらがなを強制的に教えたりしない。家庭によってはそれが教育格差として映り、コンプレックスにもなる。特に、出版や教育に関係するお仕事をしている保育園パパママはこぞって「先ずは公文」という向きもあるようだ。


書き言葉、こわい

一応私も文字を書いたり削ったりする仕事をしているので、書き言葉は飯のタネだし、日々読み聞かせている絵本だって、子どもが自分で読めるようになればもっと世界が広がるだろう、とも思っている。

でも、それと同時に、書き言葉以前の膨大な体験、ナラティブに訴えかけるような出来事、所謂原体験が、自分自身の経験を編んで表現する時のロジックに作用したり、コミュニケーションの表出に関係するんだということも理解している。

要するに、「ああ面白いな」とか「ああ、怖いな」とか「ああ、綺麗だな」と思う経験を、書き言葉以前の自分の文脈で考えたチャネルが多ければ多いだけ、その人にしか現わせない何かが生まれるんだろうな、と。それは私自身の経験則での手ごたえに併せて、「この子頭いいから、その辺の仕掛けは充分気づいてやり遂げていくんじゃないか」という絶大な親バカ方面からも来ている。

そうは言っても日々意識高い方面からの圧力はある。しかし、自分の子どもだから納得いくように丁寧に付き合ってみたい、流されたくないし長いものに巻かれたくない、余白を残して自分の頭で考えて接したいし、その境界線をはっきりとさせておきたい。彼がいずれ世間に出た時、私が親として誇りに思ってもらえる要素なんて、その結界の張り方のセンス以外何もないんだから、という慕情も、結構ある。

 

谷川俊太郎、こわい

 もう、先々月の出来事になるが子どもと「谷川俊太郎展」

http://www.operacity.jp/ag/exh205/

を観に行った。

『かっぱかっぱらった』の詩が、音声で流れたり、暗がりで子供と手を繋いで、ちょっと踊ったりしてとても楽しかった。

谷川俊太郎は学校の教科書にも載っていたような気がする。

そして、なにより、私にとっては「書き言葉こわい」(まんじゅうこわい的な意味合い)のエポックがメイキングした作品を書いた詩人No.1である。

出会いが早すぎた、谷川俊太郎『みみをすます』

会場には過去の著作が沢山置かれてあり、その中でも黄色い派手な装丁でひときわ目立っている『みみをすます』という詩集をみつけた。

この本は私が小学2年生の時に買ってもらった本。会場の谷川の年表を見ると、3人目の奥さんを娶った直後ぐらいに発表されたということを知った。当時51歳。

結論から言うと、このひらがなばかりで書かれた詩集『みみをすます』は、小学2年生には刺激が強すぎたのである。

本の背表紙には「小学校高学年から」と書いてあるにもかかわらず、買ってもらったその本を思わず読んだのだ。私の親だってそんなたいして悪気はなかったのだろう。しかし強烈な覚醒剤だった。

数行の詩が、少女を朝まで眠らせなかった話。あるいは乞食の性欲について

当時、私は詩を読んで一睡もできなかった。怖くて怖くて、それでも、そのひらがなの羅列を読むことが抑えられなくて何度も目を通した。目をそこから外しても、ビジュアルがどんどんおどろおどろしくなって、休もうとしても全然休めない。白々としてくる朝の光のことを今でも覚えている。

今大人になって分かったこと。

その詩集には、「乞食の性欲」(※乞食/こじきの表現は谷川の該当書籍ママ)が綴られていたこと、その乞食とは紛れもなく51歳の谷川自身のことが詠まれていたこと、51歳で再婚した、彼のリビドーが、ひらがなばかりの詩に封じ込められていたこと。少女の私にはその事実は受け入れがたい内容であったので、身体が拒絶したのだということ。

そしてなにより、書き言葉の魔力がこの世にあるのだということ、用法用量を間違えると健康に非常に悪い、ということを改めて思い知った。


書き言葉は、時に劇薬だ

会場で子どもと手を繋ぎながら、さまざまなことを考えはしたが、ただひとつ、やっぱり「書き言葉こわい」それだけは確信できると思った。私の中では、割と大切なことのようだ。

谷川俊太郎展に行く前は、幸い、よくしゃべる子なので、ロジックについてはそれほど心配していない、というところが、公文式をさぼってもいいかな、という最大の言い訳でもあったが、やはり書き言葉は劇薬だ。キくのです、思考に、そして大げさに言えば人生に。谷川を媒介にして、確信が持てた。

なので、さぼっているわけでも、意識が低いわけでもなく、我が家はこの数か月の就学前の時期を味わっている、のです。真面目にみんなそうすればいい、と心の底から思ってる。

お酒とたばこは20歳になってから。書き言葉は6歳になってから!

 って。(…まあ、何かのきっかけで、あっさり折れるのかもしれないけど!)